宇宙はなぜ哲学の問題になるのか (ちくまプリマー新書)
本, 伊藤 邦武
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ペーパーバック : 255 ページ
作者 : 伊藤 邦武
出版社 : 筑摩書房 (2019/8/6)
コレクション : 本
ISBN-10 : 4480683569
フォーマット : Paperback, Hardcover, Epub, PDF, Kindle
発行日 : 2019/8/6
平均的な顧客フィードバック : 4.3 5つ星のうち(4人の読者)
ファイル名 : 宇宙はなぜ哲学の問題になるのか-ちくまプリマー新書.pdf (サーバー速度22.01 Mbps)
ファイルサイズ : 19.21 MB
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本書の趣旨は、実は本書タイトルには無くて、むしろ本稿レビュータイトルの通り、“カント哲学”解説のための『宇宙』論(歴史的・概括的俯瞰)であって、本書の趣旨にはなくその方法と言って良いだろう。その意味ではタイトルが内容又は趣旨と齟齬するものと言えなくもないが、第3章の後半トピックには、哲学的考察と宇宙論(地球外生物探索又はコンタクト探究の実際問題)との連関に関する興味深い論考が展開されており(後述)、かかる点では本件タイトルも強ち失当とも言い切れない。「商品の説明」には、「宇宙を切り口に学ぶ、いちばんやさしい哲学入門」とあって、実際上は右説明の趣旨と言うべきだろう。著者はカント哲学における「純粋理性(批判)」と「実践理性(批判)」とを、科学的思考(ニュートン力学ほか)への「客観的妥当性の付与」と「人間の行動規範・理性的能力」として位置付け、これらを時代的な宇宙論的テーマ、宇宙の際限、その歴史的基点、膨張、時間的・空間的無限などに投影しつつ、カント哲学の本質にアプローチすると言う手法と、私は読み取っている。前記説明には「やさしい」とはあるところながら、本書の各トピックを1つずつ要約又は評論するのは、私には時間的・能力的に無理なので印象的な論旨に少しだけ触れておきたい。先ず「永遠の難問にカントはどう答えたか」とする小節以下(125~144頁)において、カントの「アンチノミー(二律背反)」に宇宙の(空間的・歴史的)「無限」を当て嵌め、宇宙の無限性自体の論考を「共に誤った考え」(129頁)と結論したと言う。右結論を演繹すると、宇宙の存在自体さえも誤謬ではないのか?とも(私は)考えるのだが、カントの考察は「原理的に回答が不可能」(134・142頁ほか)であるからとなる。別言すると「科学的探求は物事の表層だけを見て作られ…真実の世界のあり方を暴き出すものでない」(138頁)と言うことらしい。なるほど、確かに現象科学と言う点ではこの回答は理解できる。そうすると、いわゆる「シュレディンガーの猫」と揶揄された“量子力学”は「現象」と言う点ではどうなのだろうか。尤も、現代の宇宙起源論もビッグバン理論と思えば、その前にインフレーションが起こって、更にその前は“無”があって、揺らぎがあって…と、無限的・離散的に観ていくと留まるところがない?(ように見える)。そもそも(著者も指摘しているようだが)“無”に“時間(起源)”を求めること、即ち宇宙の起源を求めることが不毛?とも言えなくもない?ことになろうか。また、以下は私が学生時代に受けた自然科学概論講義(一般教養科目だったと思う)と同旨なのだが、仮定論ながら地球外生物の存在、意思の疎通、科学的存在性の認識又はその方法などにおいて、現在の我々人間が用いる又は探究しうる方法の妥当性、カント哲学(クワイン哲学)的?に別言すると「根底的翻訳の不確定性」である(203~219頁)。つまり、地球外生物の存在性は我々の用いる科学又は経験論科学では解明(認識)できない次元にある可能性もまた否定できない、そうした講義を思い出させてくれたトピックであった。私には「いちばんやさしい哲学」ではなかったが、なかなか面白くかつ読み応えのある「哲学入門」であることは確かだろう。
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